2006年07月22日
「A」
「A」というドキュメンタリー映画がある。
森達也がディレクターとなって制作したもので
テーマはあのサリン事件を起こしたオウム真理教。
ただしマスコミの報道のごとくの
オウム=「悪」という構図からは
およそほどとおい視点から作られている。
サリン事件を起こした後もなぜ
信じ続ける人や新たに入信する人がいるのはなぜか
ということに疑問を持ち
森氏は撮影を思い立ったのだとか。
「A」とはオウム(AUM),荒木(ARAKI=オウム真理教の広報担当),
麻原(ASAHARA),攻撃(ASSAULT)…等の
色々な意味がこめられている。
今日はこの映画を20分ほど見た。
森氏の「A」制作過程は出版された本の中から知れるのだが
その中で興味を覚えた箇所があった。
荒木浩たちオウムの信者に
僕がいちばん物足りなさを感じるのは、
まさにこの一点だ。
人生体験という意味では
彼らはほとんど例外なく平板だ。
山頭火の血を吐くような自己矛盾と苦悩は
彼らには無縁だ。
彼らが時折見下したように
「凡夫」と表現する俗世の人の営みは、
本来出家と別の地平にあるのではなく、
営みのその延長上に出家があるはずなのだ。
これはおそらくはオウムだけではなく
宗教界一般に当てはまる警鐘であろう。
宗門校にて量産される職業坊主は
共通して「平板」である。
人生に悩んで坊主を選んだというよりは
親のあとを継がなきゃいけないという
単なるしがらみから坊主になる人が多い。
世間を「凡夫」と見下すことまではあまりしないと思うが
これは裏返せばあんまり修行をしていないことの顕れかもしれない。
20分見ただけなのだが
その中に記録されている麻原の言葉は
まったく仏教の教義に背かない。
むしろ麻原の教義は古典的な仏教の教義を
既存の仏教教団よりも強く踏襲しているとさえ言えそうだ。
「人は死ぬ」ことの強調。食事に対する欲望の制限。
―――なんという「仏教らしさ」。
しかし何なんだろう。
信者達の希薄さは。
そしてなぜサリンを撒いたのか。
映画を2時間見たところで解明されるのか。
そもそもオウム問題は解決されたのか。
- by Ikeguchi
- at 01:39
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